蔵の歴史
文政8年創業。群馬県の東部、館林市に蔵を構えます。「丸木屋本店」の屋号で酒造りを始め、昭和29年に「分福酒造」と改名しました。赤城山系の自然水を用い、米洗いからすべて手造りにこだわっています。
分福は“福を分ける”という縁起のよさと、館林にまつわる伝説“分福茶釜”にちなんで命名。本社店舗は「毛塚記念館」として国の登録文化財に指定されています。
現在は、7代目蔵元毛塚征幸社長のもと、熱い想いを込めた独自の酒造りを行っています。
文政8年創業。群馬県の東部、館林市に蔵を構えます。「丸木屋本店」の屋号で酒造りを始め、昭和29年に「分福酒造」と改名しました。赤城山系の自然水を用い、米洗いからすべて手造りにこだわっています。
分福は“福を分ける”という縁起のよさと、館林にまつわる伝説“分福茶釜”にちなんで命名。本社店舗は「毛塚記念館」として国の登録文化財に指定されています。
現在は、7代目蔵元毛塚征幸社長のもと、熱い想いを込めた独自の酒造りを行っています。
「毛塚記念館」として国の登録文化財に指定されている本社店舗
分福酒造の代表銘柄は「分福(ぶんぶく)」。濃厚でキレの良い味わいは、食中酒としてどんな料理にもよく合います。一口飲んで「旨い!」と思わせ、思わずもう一度口に運びたくなる“アツイ酒”を目指しています。
米洗いからすべて手造りという昔ながらの製法で、ゆっくりじっくりと醸しています。出来上がったお酒も、生原酒などなるべく素に近い状態で飲んでいただきたいです。
濃厚でキレの良い味わいの「分福」は、食中酒としてどんな料理にもよく合う
7代目の酒造りは、まさにゼロからのスタートでした。当初、分福酒造は越後杜氏を採用していましたが、7代目が蔵に入ってまもなく、病気のため引退。杜氏不在の状況下、残されたのは蔵人と7代目のみ。当時は酒造りの知識も全く無かったため、周りからは「今期の造りを休んだ方が良いのではないか」という話がでるまでに。しかし、そこから闘志を燃やした7代目の挑戦が始まりました。
頭で考えるよりまず先に、現場の中でどうしたら良いのかを考えました。「人の3年を1年でこなしていかないと他の蔵に追いつけない」という想いから、とにかく人の3倍考え、常に疑問を持ちながら酒造りに取り組む日々。必死に励んだ酒造りが2年ほど経った頃には、関東信越国税局の品評会において金賞を受賞するほどになりました。
酒造りの経験を得ながら、“まずは基本に忠実に、そのうえで自分のエッセンスをどう入れるか”を見出し、現在は7代目の想いを酒に乗せ、自身を表現した個性的な酒を醸しています。
これからは、館林市のまちづくりに貢献していきたいです。現在は、地元で作った米を使用するなど、できるだけ館林産にこだわった造りに取り組んでいます。そして、地元で消費することで市内で経済が循環し、まちとしてのパワーアップがはかれるのではないかと思っています。